
〜「精神の筋力」はこうして生まれた〜
LDE(ロゴダイナミック実存主義)では、**「精神の筋力」**という言葉をよく使います。
「心にも筋肉がある。だから鍛えられるのだ」
そんな考え方です。
けれど、この概念は最初からあったわけではありません。
つい最近、ある“衝撃”から生まれたものなのです。
今日は、その少し不思議な誕生秘話をお話しします。
【きっかけ:ズームでの出会い】
私は長年、心理学者ヴィクトール・フランクルに惹かれてきました。
ある日、ネットで「フランクルを読む会」というZoomの集まりを見つけました。
主催はロゴセラピスト協会。
「いまさらセラピストになるつもりはないし、もう私もいい歳だしなあ……」
最初はそう思いましたが、講師がNHKのフランクル特集に出演していた勝田先生だと知り、知的好奇心に背中を押されて参加することにしました。
【転機:神の声ではなかった】
そこで私は、長年の思い込みを覆されることになります。
私はずっと、フランクルの言う「良心」とは
“神の声”
のことだと思っていました。
しかし先生は、あっさりと言ったのです。
「フランクルは、良心が神の声だとは言っていませんよ」
さらに衝撃だったのは、次の言葉でした。
「収容所のような極限状態で、人の態度がどう変わるか、それは誰にもわからない」
私はハッとしました。
「誰にもわからない? それでは運任せではないか」
フランクルの本を読み直すと、「精神の反抗力」という言葉が出てきます。
しかし、それはどこか受け身で、神頼みのような、“耐えるだけ”のものに思えてなりませんでした。
【発見:真夜中のひらめき】
「神様からの声を待つのではなく、もっと人間が自分でなんとかできるものではないのか」
「運任せにせず、精神を鍛える方法があるはずだ」
そんなことを考え続けていた、ある夜中のことです。
急に、頭の中で言葉がつながりました。
人間には
**「あるがままの自分(存在)」**と「こうあらねばならない自分(当為)」がいる。
この二つの間には、常にピンと張った**“緊張”**がある。
その瞬間、私は思いました。
「ああ、この緊張関係そのものが、筋肉なんだ」
筋肉であれば、鍛えることができます。
オリンピック選手が体を極限まで鍛え上げるように、私たちも「理想と現実」の間に生まれる緊張を負荷として、精神を鍛えることができる。
そうすれば、誰でも人生の英雄になれるのではないか。
【誕生:精神の筋力という概念】こうして、LDEの核となる**「精神の筋力」**という概念が誕生しました。
学者の理論と、私自身の実体験、そして「なんとかしたい」という切実な思い。
それらが結びついた瞬間、抽象的な哲学は“筋肉”という具体的な力に変わったのです。
これが、「精神の筋力」誕生の秘話です。
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