
大学の講義で聞いた「ピアノ」と「ピアニスト」の話。
当時の私にとって、それは単なる知識ではなく、何か自分の奥底にある「良心」が激しく共鳴する体験でした。
教授はフランクルの「次元的存在論」を、こんな鮮やかな比喩で説明してくれたのです。
「人間は『身体』『心理』『精神』の3つに分けられる。 身体は『ピアノ(楽器)』であり、心理は『ピアニスト(演奏者)』である。
そして、精神とは『ピアニストの芸術的センス』である」 +1
楽器が悪くても、名演奏はできる
この比喩の凄さは、「たとえ楽器(身体)や演奏者(心理)に制約があっても、素晴らしい演奏(精神的な生き方)は可能である」という点にあります。
当時の私は、「商売に向かない性格」という自分の「ピアニスト(心理的傾向)」に絶望していました。
しかし、教授の言葉はこう教えてくれました。
「性格や能力がどうあれ、それをどう弾きこなし、どういう曲調で人生を表現するかは、あなたの『精神(芸術的センス)』に委ねられているのだ」と。
LDEの定義:精神とは「個性」である
40年を経てLDE(ロゴダイナミック実存主義)を体系化するにあたり、私はこの比喩をより明確な言葉で定義し直しました。
精神とは、幽霊のような得体の知れないものではありません。
精神とは、その人独自の「個性」そのものです。
かつて恩師は「心理学は個性を研究するものだ」と言いました。
私たちの「身体(ピアノ)」や「性格(心理的傾向)」は、遺伝や環境である程度決まってしまうかもしれません。
しかし、それをどう運用するかという「精神(個性)」というオペレーターだけは、常に自由なのです。
実存主義は「個性の哲学」
実存主義には、神学的・文学的・精神医学的とさまざまな側面がありますが、要するに「個性の哲学」なのだと私は考えています。
私が「商売に向かない」という性格(事実)を持ちながら、後にそれを「誠実な営業」という独自の演奏(意味)に変えられたのは、私の精神がそのように人生を指揮したからに他なりません。
この「精神(個性)」が持つ力を信じることが、LDEの航海における第一歩となります。
次回予告:恐怖のインターホンと「0.2秒」の操舵室
理論を胸に社会へ出た私を待っていたのは、最も苦手な「保険の営業」という荒波でした。
次回、恐怖で指がすくむインターホンの前で、いかにして「0.2秒の自由」を行使したのか。
LDEの実践篇、「逆説的ユーモア志向」の誕生をお話しします。