
LDE実践例
仕事が立て込んでいて、同僚が明らかに限界そうな顔をしていました。
忙しい、というより、もうメンタル的に無理そうな感じです。
仕事は山積みで、誰も余裕がない。
それでも「しんどい」とは言えない空気だけが、職場にずっと漂っていました。
そんな中で、誰に向けたわけでもなく、私はこんなことを口にしました。
「このままだと、俺も死ぬかもしれないな。……よし、俺は死ぬまで生きるぞ」
これはいつも「ギャグ」を考えていたので、つい出た言葉でした。
自分でも、何を言っているんだろうと思いました。
当たり前すぎて、意味もよく分からない。
冗談なのか、本気なのかも曖昧です。
でも、その一言で、張りつめていた空気が、ほんの少しだけ緩みました。
誰かが大笑いしたわけではありません。
状況が好転したわけでもありません。
ただ、「この場に飲み込まれずに済む隙間」のようなものが、一瞬だけできた気がしました。
私は昔から、理不尽な目に合うことが多いタイプでした。
正面から受け止めると、だいたい心のほうが先にやられる。
そんな理不尽に、何度も当たってきました。
だから気づくと、私はよく冗談を言うようになっていました。
ふざけていたわけではありません。
軽く見ていたわけでもありません。
むしろ逆で、まともに受け止めすぎないために、冗談が必要だったのだと思います。
結局のところ、私がずっと意識していたのは、感情が動いた瞬間に、そのまま反応しないことでした。
怒りや絶望に、反射的に飲み込まれない。
そのために、いったん言葉をずらす。
意味をひっくり返す。
冗談に変える。
「死ぬかもしれない」という状況に対して、「じゃあ、死ぬまで生きるか」と言ってみる。
それだけで、状況そのものは変わらなくても、自分が状況に支配される感じは、少しだけ弱まります。
真剣な場面ほど、冗談は役に立つ
冗談というと、余裕がある人が言うものだと思われがちです。
でも実際は、余裕がない時ほど、冗談は役に立ちます。
なぜなら、冗談は状況を変えるための言葉ではなく、自分と状況の間に、少し距離を作る言葉だからです。
ほんの一瞬、「反射的に反応しない時間」を作る。
それだけで、人は状況の中にいながら、完全には飲み込まれずに済みます。
私は、「死ぬまで生きる」という言葉を使いましたが、何である必要はありません。
大事なのは、当たり前すぎて、少しおかしい言葉にすることです。
たとえば、
・「まあ、人生は続行中ってことで」
・「今日もとりあえず生存」
・「まだ終わってないだけマシか」
どれも、状況を良くする言葉ではありません。
でも、状況に殺されそうな気分から、自分を一歩引き離してくれます。
※ここで入る一行の理論翻訳
人には、状況と感情の間に、選べる一瞬がある。
(これをLDEでは、「メタ認知的自由」といいます。衝動から0.2秒で意識的に距離を取る態度の自由です。)
忙殺されている時に使える、ひとつだけの実践
やることは、驚くほどシンプルです。
① きつい、と感じたら
② すぐに言い返さない
③ 当たり前すぎる言葉を、心の中で言う
(できたら、声に出す)
それだけです。
うまくやろうとしなくていい。
笑わせる必要もありません。
むしろ、少し白けるくらいでちょうどいい。
冗談は、場を盛り上げるためのものではなく、自分の衝動にブレーキをかけるための道具だからです。
※理論翻訳・二行目
自由は、大きな選択ではなく、反射を止める小さな間にある。
締め:死ぬまで生きる、という最低限の自由
どんなに理不尽な状況でも、人はまだ、ひとつだけ選べます。
どう感じるかではなく、どう反応するか。
私はこれからも、きつい場面では冗談を言うと思います。
それは、現実を軽く見ているからではありません。
現実に飲み込まれずに、自分でいるためです。
どんなに深刻な状況でも、私は死ぬまで生きてやる。
それだけで、人は「ただの反応」ではなく、もう一度「人間」に戻れるのだと思います。
フランクルは強制収容所で、ユーモアが生きる上で重要だったと夜と霧の中で述べました。
(私の場合は、フランクルの逆説志向とユーモアの統合でした。)